阪急ブレーブスで大活躍の梶本投手が死去。昭和のプロ野球がだんだん遠くなっていく。

昨日ブログで書いた当時やはり活躍していた阪急ブレーブス(現オリックス)の左のエース梶本隆夫投手が亡くなった。TEL0422−59−1107




2006年09月24日(Sun)
阪急ブレーブスで大活躍の梶本投手が死去。昭和のプロ野球がだんだん遠くなっていく。
昨日からカテゴリーを増やして昭和30年代の事など私の子供時代の思い出を記していこうと思っていたら思い出のお一人の「梶本投手」が亡くなったというニュースが流れた。


素晴らしいピッチャーだった。

私のうちにTVが入ったのが昭和31〜32年だったと思う。

その頃はまだパリーグの試合も結構TVでやってて東映の土橋、尾崎、西鉄の稲生、島津、南海のスタンカ等が活躍していたがその中の一人が梶本投手だった。野村さんが新人だったぐらい前の話だ。

当時の阪急ブレーブスは強いチームで右投手では300勝投手の米田、打ではスペンサーが三冠王に手が届くところにいた(野村さんに阻まれた)ほどの名プレーヤーがいた。

梶本投手は大毎の小野投手と伴にパリーグを代表する左腕投手で速球派のピッチャーだったと記憶している。
背が高くカーブもいいのでセリーグの金田投手とよく比較されていた。(球は梶本投手の方が速かったかもしれないなあ)

TVでは阪急が写ると梶本か米田が投げていた。当時のピッチャーはタフだったなあ。ショッチュウ投げていたように思う。

今で言ったら石井和久みたいなピッチャーだったかなあ。否!もっとコントロールが良かったぞ!工藤投手?否!もっと球が速かった様に思うなあ。
二人合わせたような感じかな?

白黒の14インチTV画面からもその迫力は伝わってきたもんだ。

そうそうその頃の野球の写しかたはキャッチャー越しに撮っていたんだ。バックネット越しにね。今はセンターからのカメラだがこれはアメリカがそのように写していたのを真似たようだ。

どっちがいいかね?併用すればいいかもね?

それにしても昭和のプロ野球で活躍した大選手がぽろぽろいなくなってしまうのは寂しいかぎりだね。プロ野球ファンとしてはTVでもっと往年の名選手の特集などやってもいいと思うがね。

そんなこと考えるなんて私もジジーになったのかなあ?やだなー…

こんなブログを書こうと思う事自体ジジーか!
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作者プロフィール
東京神田生まれ、
団塊の世代、O型、
おひつじ座、男性
平成14年   
「あいよコーポレーション」設立

あいよコーポレーション」の吉岡春樹です。

銀座シャンソニエ「マ・ヴィー」でピアノバックにシャンソン一曲

・東京商工会議所会員
・中小企業振興会会員


私はチームマイナス6%です




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