昭和30年代の思ひ出PARTーT

知人のブログで「榎本喜八」選手(大毎オリオンズ)についての書き込みがあった。プロ野球がTVの発達と伴に国民的スポーツになっっていった最初の頃華々しく活躍していた名選手だったが彼について詳しく書かれていた。でも彼はパリーグがTVで当たり前のように中継されていた事を知らなかった。私の記憶をたどりながらそのころの事を振り返ってみようと思う。TEL0422−59−1107




2006年09月23日(Sat)
昭和30年代の思ひ出PARTーT
懐かしいことが書き込まれていたので私もカテゴリー化して思い出しながらあのころの事を徒然書き込みしていこうと思う。


昭和35年 小学校六年生 半ズボンはいているのが私です

今回は「榎本喜八」のいたパリーグの球団について。

懐かしい名前ですね。

当時榎本の所属チーム(大毎オリオンズ)はダイナマイト打線といってパリーグ屈指の打線を誇るチームだった。

父に連れられよく後楽園球場に足を運んだ。

3番ファースト榎本・4番レフト山内・5番サード葛城・火の玉投手荒巻・キャッチャーのマスクをぶっ壊すほどの剛速球小野投手などがいた。

榎本の打球は鋭いライナー性が多く野手の間を鋭く抜いていた。
振りが鋭くレベルスイングのお手本みたいなスイングだったと記憶している。

山内は「シュート打ちの名人」として有名だが「オールスター男」とも異名をとっていた。長嶋さんがデビューするまでは彼がオールスター男だったのだ。
彼はわたしが球場に行くと必ずHRを打ってくれた。
一度は場外ホームランだった。

葛城は意外性があり結構大きい当りも飛ばしていたと記憶している。

荒巻投手は実際投げているところを見たのは選手としては晩年で「火の玉投手」の面影は無かった。なにが火の玉だろうと思っていた。
それよりも風貌が痩せて丸眼鏡をかけてなんか当時の学校の先生みたいに見えたほうが印象に残っている。

小野投手はセリーグの金田、パリーグの小野とパリーグの代表格の左腕投手で投げ方もオーソドックスできれいな投げ方をしていた。選手晩年には巨人に来たがぱっとしなかった。

大毎の選手で覚えているのはこんなところだが長嶋さんがデビューするまではパリーグの試合もTV放送していたので私たちの世代は結構覚えている人がいると思う。

大毎は大映スターズと毎日オリオンズが合併してできた球団で榎本、山内も毎日の選手だったと記憶している。

「ロッテ」の前身球団でもある。

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作者プロフィール
東京神田生まれ、
団塊の世代、O型、
おひつじ座、男性
平成14年   
「あいよコーポレーション」設立

あいよコーポレーション」の吉岡春樹です。

銀座シャンソニエ「マ・ヴィー」でピアノバックにシャンソン一曲

・東京商工会議所会員
・中小企業振興会会員


私はチームマイナス6%です




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